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工房風苧 芭蕉布日和

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使えば使うほど味が出る布とは?

7月の個展のときに、何人かのお客さんから「芭蕉布って使っていくとどうなるの?」と聞かれました。そのときは、「使っていくと多少は柔らかくなりますよ」と答えていましたが、正直なところ、私自身、日常的に芭蕉布のものをそれほど使っていないので、実際にどのくらいの期間でどの程度柔らかくなるのか、自信を持って答えられませんでした。さらにあるお客さんから「使用前、使用後じゃないけど、実際使っていくとこうなりますっていうものを置いておいたら?そしたら説得力あるよ」とアドバイスを受け、個展が終わった後もずっとそのことが頭にあり、まず自分が日常的に芭蕉布ものを使って、その風合いの変化を自分自身で実感しなくては・・と強う思うようになりました。
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”使えば使うほど味の出るもの”・・願わくば、”もの”はみんなそうあって欲しいですが、今、私が持っているもので、最もその変化が楽しみなものは、一昨年、青森の弘前で買った山葡萄の蔓で編んだ籠。お店の人の話では、葡萄の蔓は、年数が経てば経つ程、色が濃くなり、光沢が出て飴色に変化していくとのこと。実際そのとき、50年ものもバッグを見せられ、その皮のように黒光りした何ともいえない風合いに、思わず「買います!」と言ってしまったほど。(このときの詳しいやりとりは「うちくい展リレーブログ」をご覧ください)

籠と布、ものは違いますが、同じ自然の素材と人間の手で作られたもの。芭蕉布も、この葡萄の籠のように、年数が経てば経つ程、味の出て来る布であって欲しい。
そんな願いを込めて、今まで作ってきたバッグやコースター、名刺入れなどの小物だけではなく、もっと日常的に身に付けられ、その変化も楽しめるもの、例えばショールというかマフラーというか、首にさらっと巻けて日よけになるようなものも考え始めています。
もちろん芭蕉は固いので、絹のようなふわっとした風合いにはならないけど、身につけている間に少しずつ柔らかくなるはずです。

試しに、着尺に使うような柔らかくて細く績んだ糸を、片歯に(1本ずつ。通常は2本ずつ)筬に通して織ってみましたが、片歯だと緯糸がはあまりきれいに打ち込めず、やり直し。全部片歯ではなく、2、3カ所置きくらいがいいのかも知れません。

まだまだ試行錯誤の日々は続きます。
# by fusamarumaru | 2011-09-11 12:52 | 制作工程

”掃除機”と”空手”がコンセプト。藤原大さんの話を聞いて考えた。

先週末、ISSEY MIYAKE のクリエイティブアドバイザーの藤原大さんの講演会に行って来た。ちょうと1ヶ月半前、那覇で個展をやったとき、仲間内で「パリコレで、芭蕉布や宮古上布、紅型など沖縄の伝統的な布を使った人」ということで話題になっていたので、これは何を差し置いても行かねば・・と、はるばる那覇まで出かけて行った。
講演はコレクションのスライド、ビデオを交えて、たっぷり2時間。期待通り、いやそれ以上に、聞いている側から自分の心が弾んでくるのが実感できるような、実に魅力的なお話だった。

中でも面白かったのが、年2回のコレクションを作っていく過程。
まず、コレクションの大きなテーマを決める。これはあまり脈絡がなく、そのとき藤原さんの頭に降りてきたものをテーマにするとのこと。あるときは”掃除機”、またあるときは”空手”。何故”掃除機”がテーマ?と、思うが、藤原さん曰く、「頭に”掃除機”が降りてきてしまうのだから仕方がない」のだそうだ。

そして、例えば”掃除機”だったら、まず掃除機について徹底的にお勉強。掃除機の大手メーカー、ダイソンの技術者に話を聞き、掃除機のしくみや成り立ちを勉強する。また掃除機が吸い込む風について、ヨットの専門家に話を聞く。そしてある程度、風、掃除機について理解してから、素材、デザインの企画に進んでいき、その中から、風をはらむ素材、掃除機の部品をデザインした服が生まれてくる。
また”空手”の場合は、本物の空手家を招き、スーツを着て空手の演舞をやってもらい、その動きをまず徹底的に研究。そして、布の素材、動きやすい仕立て(空手の動きにも耐えられるスーツ?)を創り上げていく。そして実際、パリコレのショーのときにも、冒頭にその空手家の方がスーツを来て演舞をしたとか・・。半端じゃない。

面白いのは、”動きやすいスーツ”というコンセプトが先にあるのではなく、まず”空手”というテーマが先にあり、後から”スーツを着て空手をやる”というコンセプトが生まれてくるということ。
これは、何か新しいものを生み出すための”藤原流”の発想の仕方なのだろうか?”服”を作るのだけれども、最初に”服”から入るのではなく、まず”服”とはかけ離れたところから入っていく。そして、そんな未知の分野の勉強を重ねていくうちに、次第に”服”に近づいていく。その過程は、苦労も多く大変なことだと思うが、まさに新しいものを創り出していく醍醐味がたっぷり詰まった心踊る時間なのだと思う。
”掃除機”と”空手”がコンセプト。藤原大さんの話を聞いて考えた。_b0228094_118527.jpg

色についても、”本当の色を探す”いうコンセプトで、南米のアマゾンまで森の色を探しに行ったり、八丈島の海に潜り、本当の海の色を探し出す。藤原さん曰く、本物の自然の色を見ることなく、今ある”森の色””海の色”という情報や既成概念をあてにしていては、本物のクリエイトは生まれないとのこと。

発想の転換。新しいものを作るとき、一度頭を空っぽにする。頭を真っ白にする。全然違う方向からアプローチをしてみる。これは何もデザイナーに限られたことではなく、広くものつくりに携わる人みんなに言えることだと思う。もちろん私にも・・。
”掃除機”と”空手”がコンセプト。藤原大さんの話を聞いて考えた。_b0228094_1181172.jpg

# by fusamarumaru | 2011-08-27 12:14 | 思うこと

『トスカーナの贋作』『ブルーバレンタイン』を観て、夫婦について考えた

旧盆の初日、ウンケーの日、思い立って映画を観に行った。
観たのは、イランのアッパス・キアロスタミ監督の新作『トスカーナの贋作』と、かなり辛口のラブストーリーと評判の『ブルーバレンタイン』。どちらも世代は違うが、長年連れ添った夫婦のあり様のようなものを見せられ、うちあたいして帰って来た。

正確に言うと、『トスカーナの贋作』の夫婦は、本当の夫婦ではなく、ふとしたことから知り合った男と女が、カフェで店の女主人に夫婦と間違えられたところから、偽りの夫婦を演じていくという物語。これがとてもリアルで、2人の会話を聞いていると、こんなこと私たち夫婦も話しているなとか、こんなことで言い争いもしているな・・というところが随所にあり、次第に落ち着かない気分になってくる。年代的には40代半ば〜50代半ばくらいだろうか、良く言えば円熟期、悪く言えば倦怠期に差し掛かる頃。そう言えば、うちもそろそろそんな時期?

子供への接し方についても意見が合わず、道路で人目も気にせず大喧嘩。またレストランに入れば、夫である男がワインの味やウエイターの態度に腹を立て、急に怒り出し、それを妻がなだめるのだが、結局機嫌が直らず、今度は妻の方が逆ギレ。(うちでは逆のパターンが多いかも知れないが・・)本当の夫婦ではなく、夫婦を演じているのだから、”家に寄り付かない夫”と”家を守る妻”というステレオタイプなところは否めないが、女を演じるジュリエット・ビノシュの名演のせいか、いつしか身近にいる友だち夫婦のような親しみさえ感じてくる。
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一方、『ブルーバレンタイン』は、もっと深刻だ。
夫は優しく妻と娘を心の底から愛しているが、仕事がうまく行かず、妻もそんな夫をもどかしく思っている。そして次第にお互いの不満は募っていき、一緒にいることが息苦しくなってくる。映画の中で、そんな今の暮らしと、出会った頃のお互いが夢中だったキラキラした日々の映像が交錯し、たまらなく切なくなってくる。

そんな切なさの中、私がうちあたいをしたのは、仕事のことで夫を問いつめるシーン。
妻は、本当にこの仕事がやりたいの?これでいいの?と、夫のことを思いやって聞くのだが、夫は、妻と娘のために一生懸命働いている、一体何が不満なんだと、怒り出してしまう。これ以上言ったら相手が傷つく、取り返しのつかないことになるとわかっていても、ついわざと言ってしまったりすることがある。これは夫婦だけではなく、親子の間でも。親しさゆえの甘えだ。

愛は変わっていく。どうあがいても、月日がたてば出会った頃の気持ちではいられない。お互い歳を重ね、大切なものや必要なものも変わってくる。どうしてもすれ違いが生じてくる。でもだからこそ、その気持ちの変化やずれを乗り越え、それでも一緒に生きていくことは、人としての修行であり、面白味でもあると私は思う。

何かうちあたいした話ばかりになってしまったが、この2作品、映画としてもとてもよかった。特に『トスカーナの贋作』は、”映画に酔う”とい言葉がもしあるなら、まさに”映画に酔った”2時間だった。そしてこの映画の醍醐味は、この偽りの夫婦が、偽りか真実なのかわからなくなってからの終盤。まさに”キアロスタミマジック”とでもいうようなめくるめく時間が流れる。

この話は、また次回のお楽しみに。
# by fusamarumaru | 2011-08-18 11:05 | 思うこと

台風一過

”台風一過”って、子供の頃、ずっと”台風一家”だと思っていました。
だから天気予報などで、”たいふういっか”と聞くと、あの天気図の渦を巻いている雲の上に、怖い顔をしたお父さん、それを「あなた、そんなに暴れちゃだめよ」とたしなめているお母さん、そして後で妙に興奮してはしゃいでいるお兄ちゃん、「恐いよ〜、お兄ちゃん」と怯えている妹・・そんな光景を勝手に思い浮かべていました。

まあ、そんな幼い頃のかわいい勘違いも吹き飛ぶような先週の台風10号”ムイファー”、すごかったです!!
我が家は築90年?木造家屋。もうこの喜如嘉集落でも、ほとんど残っていない沖縄の典型的な赤瓦屋です。敷地はとても広く、芭蕉畑や井戸、人間のトイレと一体化していたフールという豚小屋、馬小屋の跡もあり、かなりお金持ちの裕福な家だったそうです。

・・でも、何と言っても築90年!
家のあらゆるところにガタがきています。

まず雨漏り。ここ数年ほとんど雨漏りをしていなかったのに、今回は、台所と2番座、”工房”と称している機を置いてある部屋、数カ所。幸い機の近くではなかったのでよかったのですが、それでも畳や床は濡れて汚れ、大変でした。そして、その”工房”の木(板)の壁。これも風圧で飛びそうになり、あわてて打ち付けました。さらに2番座の雨戸。これも風でずっとガタガタしていたのですが、バーンというすごい音とともについにはずれ、庭に飛んで行きました。私は向かいのソファーに座って苧績みをしていたのですが、いきなり目に庭の緑が飛び込んできて、一瞬何が起こったのかわかりませんでした。

恐るべし風の力!
東村に住んでいる友人の家は、ガラス戸が2枚風圧で飛んだそうです。幸い近くにいなかったので、怪我はなかったそうですが・・。

そして芭蕉畑。
いつも台風が来てもそれほど被害はないのですが、今回は暴風域がまるまる2日と長かったので、葉が茎から折れ、かなり無惨な状態。こうなってしまったら、もう茎の根元から切るしかありません。そうしないと、新しい葉がきれいに出てこないのです。
今の時期は1ヶ月おきくらいに、芯止めと言って、原木を太らせ熟させるために、新葉や幹の先の方を切ってやるのですが、先月やったばかりで、まだ葉も十分出ておらず、芯止めする時期ではないのですが、そのままにしておくわけにもいかないので、仕方なくまた芯止め。これが芭蕉の繊維の質にどう影響するかわかりませんが、とにかくまた新しい葉が出て来るのを待ちます。

今年は台風の当たり年。まだまだ受難の季節が続きます。
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(あんなきれいだった芭蕉の葉が、風でびりびり、茎から折れまくり・・)
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(仕方がないので、みんな切ってやりました)
# by fusamarumaru | 2011-08-11 11:40 | 日々の生活

何はともあれ糸作り

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着物の世界では、芭蕉布は夏のもの。
お店に並ぶのはだいたい春から初夏にかけてが多く、展示会も、ほとんどがこの時期に集中しています。
タペストリーやテーブルセンターなどのインテリアもの、バッグ、名刺入れなどの小物はそれほど季節感はありませんが、やはり涼しげに見えるこの時期の方が売場でも映え、お客様の反応もいいようです。

だから、毎年1年の前半、7月くらいまでが、勝負?の時期。
特に今年は7月に初めての個展も控えていたので、例年以上に目まぐるしい半年でした。

そして8月になり、ほっと一息するのもつかの間、これから後半、下半期はまた来年に向けて作品作りが始まります。
着尺や帯はもちろんのこと、小物なども、来年の展示会の予定をたて、計画的に作業をを進めていかないといけません。何せ芭蕉布は作るのに時間がかかるので、長いスタンスで計画をたてないと、結局間に合わず、やっつけ仕事になってしまい、本当にいいものは作れないのです。

そして今年も、そろそろ次の1歩を踏み出さなくてはいけません。

先月の展示会で、お客さんや友人の反応などからいろいろ刺激を受け、またムクムクと、作りたいものが溢れてきました。
あ〜早く織りたい!

し、し、しかし・・糸がない!!

そうなのです。
毎年、この時期は年の前半に苧績みした糸を使い果たし、在庫ゼロ。

また一からのスタートです。
夏真っ盛りだっていうのに、汗だくだくしながら、家で地味〜に苧績み。
・・とほほ。
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(私が苧績みをしている傍らで、のんきにお昼寝中の愛猫、シャンティ)
# by fusamarumaru | 2011-08-03 14:56 | 制作工程